感想家の生れでるために

みたものと考えたこと

取り憑かれたアーカイヴァー ー山内光枝「つれ潮」

konya2023.travelers-project.info

 

比較的長い映像作品だったけれど、なぜか見入ってしまった。

山内光枝さんという方は、ずっと海女をテーマに映像作品を作っている方らしい。

 

展覧会のステイトメントは以下。

 

対馬東海岸に位置する海民の村、曲=マガリ
その最後の現役海女ともいえる82歳のおばちゃんが
時折ひとり言のようにつぶやいていた。
永い間、対馬一円の海を自由に操業できる
島では唯一の専業漁民であった曲の海人。
その先人たちは数百年のむかし、対岸の筑前鐘ヶ崎、
現在の福岡県宗像市鐘崎からやってきたといわれている。
海とともに暮らすおばちゃんたちの
清も濁も生き生きと交わり流れる世界に出逢っておよそ8年。
少しずつ積み重ねてきたものが今、ひとつの潮時を向かえ
わたしたちはその流れに身をまかせるように海峡を渡り
原郷・鐘崎へと向かった。

 

この映像を作品とか、ましてやドキュメンタリーとかいうくくりとして説明するのはすごく難しい。なにせ、撮影する人=山内さん と、撮影される人=海女のおばあちゃんや集落の人とが、あまりにもねっとりと、近い関係にありすぎるのだから。

目の前にある対象と適切な距離を取り、適切な編集をほどこして仕上げる類のドキュメンタリー映画では見たことのないような、一見すると冗長で無駄・意味不明っぽい長回しがずるずると続く。にもかかわらず不思議と目が離せないのは、この映像がなにかをドキュメントするものではなく、ひたすらに山内さんとマガリの海女さんとの間に流れる時間そのものを「何か残るかたち」へ写しとることに徹しているからか。

山内さんは被写体を被写体だと思っていないし、そもそも彼女自身が、彼女の構えるカメラの中へずぶりと入ってしまって、「撮る」とか「見る」とかを放棄している。

「取り憑かれている」という表現がいちばんしっくりくるな、と思った。

取り憑かれたものによるアーカイブ。今わたしたちを通り過ぎているこの時間とは別の時間に、いやおうなくひきずりこまれる。

 

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<展覧会情報>

konya-gallery 10周年企画 

ゲストディレクタープログラムvol.2 正路佐知子

【第1期】その海のあぶくの

田代一倫「ウルルンド」、山内光枝「つれ潮」

■2018年10月12日(金)-10月28日(日)

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